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父が描いた、母の肖像画。
先日、実家で片付けをしていたら、一枚の油絵が出てきました。
父が描いた、母の肖像画です。
ご存知の方はご存知のように、僕の祖父は祖父で、このような篆刻家でした。
で、父は父で、これくらいの絵心はあるわけでして……。
なのに僕はこの有り様。(どの有り様?)
祖父や父の持っていた芸術的な能力が、僕にはまったく受け継がれなかったことが、本当に残念でたまらないのです。少しは分けてくれたって良かったのに。
さて、それはともかく、母にこの絵にまつわることを聞いてみたら、僕の知らなかったことがいくつか出てきました。
この絵は、父と母が結婚する前に描かれたものですが、父はこの絵を描くために、毎週のように自分の家に母を招いていたそうです。
ま、要するに、絵を描くことを口実に、自分ちに呼んでたわけですね。
早い話が、スケベの手段です。
このへんのスケベ心だけは、見事に僕に受け継がれているのがまた悔しいじゃないですか。
今も昔も変わらぬ、男の下心満載な動機ですが、まがりなりにも絵が描けただけ父はラッキーだったと思いますよ。
僕だったら、どんな理由で付き合ってる彼女を自分ちに招いたらいいか分からないですから。
そんなこんなで、毎週のように母は父の家に招かれて絵のモデルになり、そのあと父の両親を交えて夕飯を食べては帰っていったそうですが、母にとっては、ちょっとだけ重荷だったようです。
それはまぁ、想像に難くないですが、モデルをするのも疲れるでしょうし、義父や義母となる人との会食も気疲れするでしょう。
それでもなんとか結婚寸前まで母は、モデルとして父の家に通い続けたそうです。
で、いざ結婚までこぎつけたら、もうそんな口実もいらないわけでして、いつしかこの絵も忘れられ、家のどこか片隅でホコリをかぶることとなりました。
今回、この絵が出てきて、母がしみじみ言ったのは、
「この絵、まだ完成してないんだって……」
ということでした。
どの油絵でもそうですが、僕のような素人から見たら完成しているか未完成なのか、まったく判断できません。
この絵も、これで完成と言われれば、違和感なく完成品に見えます。
でも、この絵が完成していないということを母にわざわざ言ったということは、父としてはいつかは完成させたいと思っていたのでしょう。
ですが、この絵は永遠に完成することはなくなってしまいました。
去る7月15日、9時36分、父は永眠しました。 享年73。
2月下旬から頚椎の異常で入院し、3月25日に手術。
その手術自体は成功し、翌日には看護婦さんをつかまえて冗談を言うほどにまで回復したのですが、翌々日の深夜、突然、心肺停止状態に……。
結局そのまま一度も目を覚ますことなく、逝ってしまいました。
週末のたびに帰っては、父の眠るICUに行って、父の好きな『笑点』のテーマを聞かせたり、『男はつらいよ』のテーマソングを聞かせたりしましたが、逆に、円楽師匠や渥美清のいる世界に行きたくなっちゃったのかな。
父がこうなってしまったこと、僕ら家族は医療ミスだと思っています。
通常は術後何十時間かは取り外してはいけない周辺機器を、父の容体が極めて良いからと早々に外してしまったがために、深夜の心肺停止に気づくのが遅れ、結果、脳を酸欠状態におく時間が長くなってしまったことが意識不明の原因だと、その後の医師たちとの説明会で、その可能性だけは最終的に医師たちに認めさせました。
正直、彼ら医者を殺したいほど憤った気持ちは、いまだにどこに収めていいのか分からない。
自分らのミスをなんだかんだとごまかして、保身にしか注力しない奴らを、僕は殺したっていいと思った。
でも奴らには、この先ずっと人殺し医師のそしりを受けながら、一人でも多くの命を救っていってもらおう……そう自分を納得させることにしました。
もっとも、あんな奴らでは、また被害者が出るかもしれない。
また怒りと悲しみを抱える遺族が出るかもしれない……。
それを思うと、今のうちにいなくなってもらったほうがいいのかもしれないけど……。
ああ、いけない。奴らのことを思い出すとついつい口汚くなってしまいます。話を戻します。
結局、未完成のままの母の肖像画を残して、父は逝ってしまったわけですが、これには僕は納得いかないのです。
かつて僕が大学を留年して、もう学費も無駄だから辞めようかな、と口にしたとき、父は「辞める暇があったら、とりあえず最後までやれや」とか、よく分かんないこと言って思い直させたくせに、自分は絵を完成させないまま逝っちゃうんだもんなぁ。そりゃないよ。
今、逆に僕が「死んじゃう暇があったら、とりあえず絵を最後までやってや」と言いたい。
子供に言ったことを親の自分が守れないなんてさ、親の風上にも置けないよね。
いや、風下でも何でもいいから、続きを描いてもらいたかったな。
結局僕ら子供たちは、父が絵を描く姿も見てないわけだし。
思い出すのは晩年のヨボヨボになって口ばかりが達者な父ばかり。
そんな父を疎ましく思って、実家に帰ってもろくすっぽ話もしなかった僕。
父が意識不明になって何も答えてくれなくなってから、そうなってようやくたくさん話しかけたって、遅すぎるよね。
父の寝顔は、「オレが話せるうちにそれだけ話してくれりゃ、なんぼでも答えたよ」と言ってるようで、僕は自分が情けなかった。
後悔と自責の思いが、あれ以来ずっと続いていて、毎日一度は涙がこみ上げるほどだけど……。
それは、大切にしなきゃいけないものを粗末にしてきた僕への報いだと思って受け入れていくんだけど、でも、考えてみれば、じいちゃんも父ちゃんもひどいよなぁ。
去年亡くなったじいちゃんの時(※当該記事)も、結局は僕が喪主になっちゃったし、それで今年は父ちゃんの喪主でしょ。
2年連続で僕に喪主をやらせるっていうのも、ひどいよなぁ。
そんなことしてたら、プロの喪主になっちゃうよ。
(喪主のご用命は、信頼と実績のワタクシまで!)
僕もかなりの親不孝・祖父不孝だったけど、二人もなかなかの子不孝・孫不孝だと思うよ。
でも……。
父の葬式を終えて、アルバムを整理していて見つけたこの写真。
祖父に抱かれる僕に、おどけてみせる父。
これを見た時、僕は二人にすごく愛されていたのだと改めて思い知りました。
じいちゃんも父ちゃんも、本当にありがとう。
いろんなものを無くした今、ひどく弱気な僕は、早く二人やばあちゃんのいるところに行きたい気がしてしまう。
もうちょっとは踏ん張らなきゃいけないんだろうけどね。
それじゃ、またね。
魂入れも無事に終わり家族の気持ちも少し落ち着いたところです。
いろいろご心配くださった方々、ありがとうございました。
―― へのコメント。