癌封じの「江戸川不動尊 唐泉寺」で祈願とお守り購入 その行き方・時間・値段など(2/2ページ)
本堂で御燈明祈願 寺務所でハーレーダビッドソン そしてお守り購入
せっせと準備をしていたお坊さんに「このあたりだけ写真に撮ってもいいですか?」と聞くと、「なぜ撮るのか?」と聞き返されたので、これは気に障ることを言ってしまったかと案じましたが、理由を説明したら、「上がって撮ったらいいですよ」「このへんからこうやって撮ったらどうです?」などと、撮影の指導までされてしまいました(笑)。ご親切にありがとうございます。
その優しさに感激したけれど、今度はそれがプレッシャーとなって、撮るのにものすごく緊張することに……。(笑)
場所が場所なだけに、自分なりに精一杯厳かにシャッターを押しました。(どういう押し方だ?)浄財。 不動明王の真言。唐泉寺の本尊は、不動明王坐像と矜羯羅童子(こんがらどうじ)、制多迦童子(せいたかどうじ)の3体を合わせた「不動三尊像」で、現在の日本では、大仏師として名高い松本明慶さんの手によるものだ。
松本さんといえば、NHKのドキュメンタリーなどで何度も取り上げられていて、作られた仏像の写真集が出ているほど。
お不動さまのお顔を見に立ち寄るだけでも、得がたい経験になる。
のうまく さんまんだば さらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うんたらた かんまん
僕が来たときにはすでに誰かの癌封じの御燈明が灯っていた。 護摩木と絵馬と燈明、そしてカード守りがここで購入できる。僕はカード守りは下の寺務所で買うことにして、ここでは先達にならって、御燈明を灯しお祈りすることにしました。
癌封じの御燈明。頼みますよ、御燈明。 僕らの明日を明るく照らしておくれ。
しっかりと祈りを込めました。
先達の横に並ばせていただいた。そして、これでもかというくらい、祈った、拝んだ、ぬかずいた。
僕のあとに、一組の若い男女がやってきた。
やはり家族か知り合いの誰かが病気になってしまったのだろう。
どんなことにもすがりたい必死な気持ちが伝わってきて目頭が熱くなった。
僕の祈りも、あなた方の祈りも、届きますように。
その後、本堂1階の寺務所へ向かいました。 ありました、噂のハーレーダビッドソン。 癌撲滅のキャンペーンで使用された癌ファイターズのハーレーダビッドソンだ。 とても綺麗な姿で安置されている。 こちらは色即是空号。 これにてお寺をあとに。
せっかくだからお寺の周りをぐるっと回って、江戸川の土手まで行ってみることにしました。
住宅街にポツンと、こぢんまりとした風情がいいのです。 お寺のすぐ横を走る都道451号線はかなり交通量が多くて危ないので気をつけましょう。 唐泉寺は、ボケ封じにも霊験あらたか。今から自分自身のボケを封じ込めておこうかと思った。
お寺の裏側まで来ました。 するとそこに不思議な家を発見。 今はもう誰も住んでいない様子。 横から見たところ。 斜め後ろから見たところ。 隙間から唐泉寺が見える。なんとも不思議な形をした家です。
例えるなら、あれ。
食べかけのショートケーキみたいな……。 話が脱線して恐縮です。交通量の多い都道451号線を歩いて土手へと向かってみます。
いろんな方向からお寺を眺めてみるのもまた一興です。たぶん。 江戸川の土手から唐泉寺を望む。ショートケーキの家もお寺の右に見えますよ。
そして、右奥にはあれです! あれが見えますよ!
そう、東京スカイツリーが見えるのです。これは、唐泉寺とスカイツリー両方の熱狂的ファンだという人にはたまらないロケーションですよ!
そんなファンがいるかは別として。
江戸川の土手から唐泉寺までのパノラマ写真を、Googleフォトが勝手に作ってくれたので、載せておきます。
帰りは、来たときとは違う道を通り、上小岩親水緑道を歩きました。 このあたりはいい散歩道がたくさんあるようです。 ずっと、何時間でも歩き続けていたい気分にさせられそうです。歩かないけど。 鯉だって泳いでいるんだよ。見えるかな?
真ん中あたりにうっすら魚影が見えるから、見つけたらギョエー! って絶対に言うのがお約束だからね。頼んだよ。
京成小岩駅に戻ってきました。行きのときは余裕がなかったので気づきませんでしたが、なかなか雰囲気のある飲み屋横丁があります。
こういうところの店の暖簾を気軽にくぐるには、僕はまだまだ修行が足りないのです。 なんだかんだで今日は疲れた。「地蔵湯」という銭湯の煙突を見つけたので、時間もいい頃だし、ひとっ風呂浴びて帰ろうと考えました。
行ってみると閉まっていました。毎週土曜日が休業日。 今日は土曜日だった。
残念だけど仕方ない。帰ります。 臭いまま帰ります。(臭いのかよっ)
さて、買ってきたお守りです。
買い求めていく人が多いという、カード守り。 袋の裏側。 中身はこのように。お護摩の火で祈願した霊験あらたかな御守だそうです。
ここにも不動明王の真言。後日、このお守りを、ご本人に直接会って渡すことができ、ホッとしました。
そしてつい先日、5月某日に手術と聞いていましたから、今ごろは無事成功に終わっているはずです。
(手術についての経過も結果も何も知りませんが、成功に決まっているのだ)
冒頭にも書きましたが、僕自身、お祈りやお守りで病気が治せるという考えの持ち主ではないのですが、やれることがこれしかないときは、すがりつきます。いくらでも。
ただ、やっぱり、今回に限らず、病気のご本人にしてみたら、お守りなんてかえって迷惑なものかもしれません。
ぞんざいにもできないし、捨てるに捨てられないだろうし。
そう考えると、お祈りやお守りといったものは、病気のご本人のためというより、冒頭に書いた、
1.本人
2.家族
3.医者
4.その他
――のうちの4番、「その他」の者のためにある、と言っていいのかもしれません。
今回この病気の話を聞いたとき、かなりのショックを受けました。
胸がざわざわして落ち着かなくなりました。
病気が病気ですから、最悪のことまでどうしても頭をよぎってしまうのです。
夜、布団にもぐると、「あの人がいなくなったらどうしよう」などと不謹慎な思いが頭をもたげ、そのたびに「そんなの絶対やだ! あってはならないこと!」とかき消す……。
おそらく、当の本人よりもビクビクして日々を送っていたのではないか、と思われるほど。
そういう僕が、唐泉寺での祈願を済ませ、お守りを渡したあとは、かなり気持ちが落ち着きました。
今の僕にとっての “人事” は尽くしたのだから、あとは天に任せ、医者に委ね、希望を抱き、成功を信じ、日常を大事にするだけ……。
そんな気持ちになれたのは、お寺に行ったおかげです。
「お祈り」や「お守り」が、ご本人よりむしろ「その他」の者の救いになったのです。
もし、僕と同じような立場で、「何もできないけど、いても立ってもいられない」とか、「気持ちが不安定でしょうがない」という人がいましたら、自分自身のためにも、お祈りに行ってみることをおすすめします。
今日書いたことが、いま僕と同じような立場にある人や、いつかそのような立場になってしまった人の一助になりましたら幸いです。
そしてなにより、心からご快癒をお祈りしています。
大丈夫。笑顔で会える。
2017年05月10日(水曜日)
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