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オウム真理教元信者・菊地直子被告に懲役5年の判決 & 松本サリン20年 河野義行さんの言葉と僕の後悔
前略
オウムも最低ですけど、僕も最低でした。
の館長です。
■ 都庁爆発物事件:オウム菊地被告に懲役5年 東京地裁 - 毎日新聞
オウム真理教による東京都庁爆発物事件(1995年5月)で爆発物取締罰則違反と殺人未遂のほう助罪に問われた元信者、菊地直子被告(42)の裁判員裁判で、東京地裁(杉山慎治裁判長)は30日、懲役5年(求刑・懲役7年)を言い渡した。裁判員裁判で実施されたオウム事件の判決は、東京地裁が3月に目黒公証役場事務長監禁事件などで懲役9年とした元教団幹部、平田信被告(49)=控訴中=に続き2件目。
起訴状によると、菊地被告は95年4月下旬、5回にわたり、爆弾の原料となる薬品を山梨県の教団施設から東京都内のアジトに運び、爆弾の製造と使用を手助けしたとされる。元教団幹部の中川智正死刑囚(51)らが薬品から小包爆弾を製造して都庁に郵送。同年5月16日に開封した都庁職員が左手に大けがをした。
菊地被告は「薬品が爆弾の原料とは知らなかった」と無罪を主張していた。
17年も経ってしまったから、他の2件についてはうやむやになってしまった……。17年という時間経過から確定的な証拠が集まらなかったため、サリン事件とVXガス事件については不起訴処分となった。
17年も経ってしまったのは、警察の杜撰さもあったとは思うけど、なにより菊地直子本人が罪を償おうともせず逃げ回っていたから。
それって、かなり悪質じゃないですか。
菊地に関する目撃証言を警察に提供したのは同居男性の親族であり、2012年3月に健康保険証のない菊地が将来病気になった時の対応について、同居男性が親族に相談したことが、同年6月の警察通報の端緒となった。
この親族が言わなかったら、ずーっと逃げ回っていたんでしょう。
そして時効を迎えればしゃあしゃあと暮らしていく……。
やっとこ起訴に至った今回の事件にしても、
1995年5月16日午後7時頃、都庁の知事秘書室で、当時44歳の東京都職員の男性が青島幸男知事宛の小包の梱包を開封し、中に入っていた単行本を開いたところ、突然本が爆発した。
都職員の男性は左手の指全てと、右手の親指が吹き飛ぶ重傷を負った。
左手の指すべてと右手の親指を無くした都職員にしたら、懲役5年で済む話なんですかね?
ま、こんなところで僕が文句を言ってもしょうがないし、僕が言うべきことでもないんですけど。
これが法治国家。 これが罪刑法定主義なのだから……。
オウム関連といえば、先日27日、松本サリン事件から20年を迎え、当時まっ先に容疑者に仕立てられた河野義行さんがインタビューに答えていました。
自分が無実なのは自分が一番よく分かってる。だからそれが明らかになったあとで警察やマスコミに反省させればいいんだ、と心のバランスをとっていたのだとおっしゃる。
いつも思うのは、河野さんの精神力の強さ。
風化させるなという意見や動きもあるが、それは土台無理なのだと。
河野さんは、淡々と、まるで他人事のような距離感を保ちつつ話してらしたので、「達観してらっしゃる」と感じてしまいましたが、そんな簡単な感情ではないのでしょうね。
当時、そしてそれ以後も、どれだけイヤな思いをさせられてきたか、どれだけの苦しみを味わわされたか、察するに余りあります。
僕は当時、完全に河野さんが犯人だと思いました。
思っただけならしょうがないと思うんです。
警察もマスコミもそのように僕らに思わせたんですから。
でも僕は思っただけでなく、面白おかしくカラオケで替え歌を歌ってました。
「魔法使いサリー」の替え歌、「化学兵器サリン」ってやつです。
当時はまだネットも無かった頃なので、この歌がどこからきたのか分かりませんが、自分の創作で補完しつつ、河野さんが容疑者であることを前提にヘラヘラと歌ってました。
その後、事実が判明したとき、猛烈に恥じ入り後悔しましたが、もう取り返しはつきません。
今でも、あの頃の歌ってる僕のところへ行ってぶん殴ってやりたい、と思う。
このことを思い出すと、動悸がして胸が締めつけられたように苦しくなり吐き気さえ催します。
でも、この先もずっと、ことあるごとにこのように苦しめばいいんだと思う。
自分がしたことの罰としては軽すぎると思うけど、せめてもの、という思いです。
松本サリン事件が風化してしまっても、僕の中ではこの後悔とともに生き続け、僕を苛むことでしょう。
「風化はする。 学んだことを生かしてもらうことでいいのではないか」
――河野さんのこの言葉は、きっと、このことをおっしゃってるのではないかと思う。
河野さん、本当に申し訳ございませんでした。
悔やんで謝って苦しんでいくしかないのだ。
《するぷろ for iPhone からの投稿》
2014年06月30日(月曜日)
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