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カラテカ矢部太郎の『大家さんと僕』を読んでしみじみ
前略
僕にとって大家さんというのはいつも “敵” でした。
の館長です。

大学生活のために上京して、東中野で初めて借りたアパートの大家さんは、アパートの隣に住んでいました。
いま思えば、たぶんとてもいい大家さんだったのだと思いますけど、当時は僕も若すぎてバカすぎて、生真面目な大家さんのことが鬱陶しくてたまらなかったのです。
友だちを呼んで夜通し遊べば怒られ、彼女を部屋に招けば小言を言われ、バイクを買えば暴走族扱いされ、その窮屈さに我慢できなくなったのが大学1年の終わりごろ。
僕は酔っぱらって深夜に帰宅したのですが、部屋のドアの前にこれを置いたまま眠ってしまったのです。
近くのゴミ捨て場にあったのをかついで帰ってきたのですが、部屋にまで入れると、六畳一間に僕と武田鉄矢の2人きりになってしまうので、ドアの外に立てかけておいたのです。
これを見た大家さん、たいそう激怒なすった!
武田鉄矢とともにこのアパートを出ていけー! とおっしゃる。
そんなわけで、僕は何の因果か武田鉄矢と一緒に引っ越すこととなりました。
ほんとに、いま考えればすべて僕が悪うございました。
朝まで遊んだり、女にうつつを抜かしたり、盗まないバイクで走り出したり、完全に学生の本分というものを忘れていました。
特に決定的だったのは武田鉄矢でしょう。
他の芸能人のパネルならセーフだったかもしれません。(根拠はないけど)
よりによって武田鉄矢です。
武田鉄矢であったがために、「人」という字のごとく、2人で支え合って生きていかねばならなくなったのです。鉄矢と。
そのあと移ったアパートは四畳半で、さらに狭くなったため、僕は武田鉄矢との共同生活は断念しなくてはならなくなりました。
「人」の字、解散です。 人でなしです。
武田鉄矢は、静岡から上京したブルジョワ息子の広い部屋に引き取られていきました。
のちにそいつの家に行くと、ハンガー代わりに洋服を掛けられた武田鉄矢が、なんとも言えない笑顔で僕を出迎えてくれたものです。
僕はその後もいくつかアパート暮らしをしましたが、いずれも大家さんとはあまり良い関係を築くことはできませんでした。
いつのときも、大家さんにとって僕は何をするか分からないバカ学生で、僕にとって大家さんはうるさくてわずらわしい大人。
そんな関係に終始したことを、今回、矢部太郎の『大家さんと僕』を読んで、ちょっと後悔しました。
お笑いコンビ「カラテカ」の矢部太郎によるコミックエッセイ『大家さんと僕』
■ 矢部太郎『大家さんと僕』みんな、ほっこり! 奇跡の実話漫画。

挨拶は「ごきげんよう」、好きなタイプはマッカーサー元帥(渋い!)、牛丼もハンバーガーも食べたことがなく、僕を俳優と勘違いしている……。
一緒に旅行するほど仲良くなった大家さんとの“二人暮らし”がずっと続けばいい、そう思っていた――。泣き笑い、奇跡の実話漫画。
大家さんはとりあえず顔出しNG。 大家さんとは手をつないで一緒にお散歩したり…… 矢部太郎の誕生日にサプライズで祝ってくれたり(しかもおはぎで)、普通とはちょっと違った関係。
そこで番組では矢部太郎のお宅にお邪魔してインタビューをすることに。 1階に大家さんが住み、2階に矢部太郎が住む。 元は2世帯住宅だったので、玄関は別々。 住んでる地域が分からないので、この家賃の程度も不明ですが、芸能人にしては安い部屋なのかな……?(オードリー春日を除く) 机の上のタブレットかなにかに掛けられている布は、大家さんと食事に行ったお店で…… ランチョンマットみたいに敷いてあったもの。 お持ち帰り可なので、思い出に持ち帰っているという。 昨日、大家さんからいただいたという手紙を広げる。 矢部太郎が大家さんのお誕生日を祝ってあげた、そのお礼状。
この達筆を拝見するに、絶対にこの大家さんは良家のお嬢様で、ご教養もおありになると思われますね。
「ごきげんよう」という挨拶からもそれは想像に難くないのですが。
このようなお手紙がとてもうれしいと矢部太郎。 お礼状ばかりでなく、なにげない日常の出来事も手紙にしたためられてくるそう。 物理的にも精神的にも自分のスペースに入ってくる大家さん。その近すぎる距離感に、最初のうちは戸惑ったという矢部太郎。
洗濯物が干してあるところに雨が降ってくると、このように電話をしてきたり…… 夜遅く帰ってきた矢部太郎の部屋の灯りがついたとたん、「おかえりなさい」の電話があったり。そんな近すぎる距離感に当初は困惑してたそう。
でも、毎月家賃を渡すときにお茶に誘われ、 大家さんと話を重ねるうちに次第に大家さんのことが好きになった。 雪が降れば「二・二六事件の日もこのくらい雪が積もってたのよ」と話したり、 おみくじを引いて「待ち人来たる」と書いてあると、「今ごろ誰が来るの? 死神?」などと言ってみたり、 とにかく話が面白いのだという。 そんなユーモアあふれるトークと可愛らしさに、大家さんのことがすっかり好きに。 大みそかは大家さんと一緒におせちを食べることになっているそうな。 だから、大みそかは仕事が入らないよう “大みそかNG” を出しているそう。 矢部太郎は、なぜそこまで大家さんとの時間を大切にするのか……? 自分のおばあちゃんにはあまり会ったことがなく、もっと会いたかった、もっと何かしてあげたかった、という思いが、今、大家さんへの思いにつながってるのではないかと語る。 一方の大家さんはどう思っているのだろうか? 「矢部さんが引っ越してきてくれて、寿命がのびたわ!」と大家さん。 その言葉がすごくうれしいと矢部太郎。 そしてうれしいと同時に、「もうこれは引っ越せないな」と感じている(笑)、とのこと。
喜んだ矢部太郎が「どこにグッときましたか?」と聞いたら……
「平愛梨さんと糸井重里さんの帯コメントにグッときたわ!」と大家さん。 これがその帯コメント。スゴいなぁ、大家さん。 分かってらっしゃる!
愚かなことに、僕は自分の大家さんを常に “敵” のごとく思って過ごしてしまいましたが、やはり仲良くできるものならそうしたほうがずっといいですね。
僕よりはるかに経験値も高く、まして知らない土地に来た僕にとっては、そこにずっと住んできた大家さんこそがその土地の生き字引なのに、その字引をめくろうともしないなんて、なんてもったいないことをしたんだろう。
思い切って懐に飛び込んでみれば、そこから得られることも多かったんじゃないか? もっと良く成長できたんじゃないか……などと、覆水を盆に返す作業をさっきからずっとコツコツと隣の部屋でやっていますので、どうか覗かないでください。
「覗くなと言われれば余計に覗きたくなるものよ」と大家さん。
とうとう部屋を覗いてしまいました。
すると部屋では、1羽の鶴が長いくちばしを使って上手に覆水を盆に返しているではありませんか。
鶴は出てきて言いました。
「この姿を見られたからにはもうここには住めません。さようなら」
そう言って空に舞い上がり、山のかなたへ飛んでいった鶴を見つめながら大家さんはつぶやきました。
「今月分の家賃、まだなんだけど……」

『大家さんと鶴』の発売予定はありません。
追記2018.2.1 短編アニメとしてYouTubeで公開!「うどんとホタル」
今回、漫画内の一篇で大家さんと矢部がお昼ご飯におでかけする様子を描いた「うどんとホタル」を題材に、2分半のアニメーションとして完成した。
今回のアニメ化にあたって、矢部は「『大家さんと僕』の小さな世界を描いた小さな漫画を大きくみなさんに読んでいただきとてもうれしいです。このたび、小さな動画になりました」と喜びのコメント。自身でアニメのナレーションを担当しているが「朗読も僕が小さな声でしています。文字も出るので、音声を消しても楽しめます!」と自虐を交えながらアピールしている。■ カラテカ矢部、大ヒット漫画がアニメ化 ナレーション挑戦も自虐「音声を消しても楽しめます!」 | ORICON NEWS
追記 2018.6.20 祝・手塚治虫文化賞短編賞受賞!
■ 【魚拓】口下手なカラテカ・矢部太郎の言葉に会場中が号泣! 手塚治虫賞贈呈式の受賞スピーチ全文

矢部さんが暮らす新宿外れの一軒家での、大家さんとの日常を描いた同作は、話題が話題を呼び既に38万部を超えるベストセラーとなっている。
6月7日に行われた手塚治虫文化賞贈呈式で、受賞スピーチした矢部さん。日頃はシャイで口下手な矢部さんだが、その日は何かが舞い降りたのだろうか。矢部さんの、熱く真摯な言葉に会場中が涙したという。
矢部太郎の授賞スピーチが、本当に素晴らしかった??
— 木下ほうかKINOSHITA Houka (@KINOSHITA_Houka) 2018年6月7日
皆、感動して泣いた。
彼は人生の喋りを、全部使い果たしてしまった〜??#手塚治虫文化賞
矢部太郎の受賞スピーチ
(贈呈されたブロンズのアトム像をじっと見つめながら)あ……ありがとうございます……。思った以上にアトム像が重いです……。
この度は手塚治虫先生という「漫画の神様」のお名前がついた賞を受賞させて頂きまして、大変光栄です。神様をも畏れぬことを思い切って言わせて頂きますと、手塚先生はどんなに売れっ子になられても、若い作家の先生の作品を読んで嫉妬されることがあったというお話を聞いたことがありまして、天国の手塚先生に、僕の本を読んで頂き、そしてほんの少しでもいいので嫉妬して頂けたら、嬉しいです。この賞がそういうものだったらいいな、と思います。
僕はいま40歳で、38歳のときに漫画を描き始めました。38歳で漫画家になると言ったら、普通は周囲が全力で止めると思うのですが、僕の場合は、「作品にした方がいいよ」と言って下さった方がいました。倉科遼先生は僕の漫画をとても褒めて下さって、自分が自費出版してでも出したいと言って下さいました。相方の入江くんもすすめてくれて、入江くんの方は僕はあんまり覚えていないんですが、本人がそう言うので、そうなんだと思います。
だから、新しいことに挑戦するのが苦手な僕ですが、描き始めることができました。他にも、デジタルで描いているので、文明の利器に助けられたということもあると思います。
でも一番は、大家さんがいつも、「矢部さんはいいわね、まだまだお若くて何でもできて。これからが楽しみですね」と言って下さっていたのですね。ご飯を食べていても、散歩をしていても、ずっといつも言って下さるので、本当に若いような気がしてきて、本当に何でもできるような気がしてきて……。これはあまり人には言っていないのですが、僕の中では、38歳だけど18歳だと思うようにしていました。だからいま、20歳(ハタチ)なんです。何を開き直っているんだと思われるかもしれませんが、これは本当に効果があって、10代だと思ったら大概の失敗は許せました。
人生何があるか分からないとよく言いますが、中学生の頃、図書室でひとりで『火の鳥』を読んでいた僕が、いまここにいるなんて思いもよらなかったですし、芸人になって長く経ち、次第にすり減り、人生の斜陽を感じていた僕がいま、ここにこうしていることも、半年前には想像もつきませんでした。
それでも、あの頃、全力で漫画を読んでいたこととか、芸人として仕事をして創作に関わってきたこととか、子供の頃、絵を描く仕事をする父の背中を見ていたこととか、なんだかすべては無駄ではなく、繋がっている気がしています。それは僕だけじゃなく、みんながそうなのではないかとも思います。
お笑い芸人が僕の本業なのですが、人前でうまくしゃべることが苦手です。そんな「うまく言葉にできない気持ち」を、これからも少しでも漫画で描いていけたらと思っています。
本日は本当にありがとうございました。
追記 2018.8.24 大家さんが亡くなったことが8月23日に矢部さんのTwitterで報告されました
『大家さんと僕』の読者のみなさまへ
— 矢部太郎 カラテカ (@tarouyabe) 2018年8月23日
ご報告があります。 pic.twitter.com/FAaIvGkzld
お名前もお顔も知らない、もちろんお会いしたこともない、まったく遠くの大家さんでしたが、言い知れぬ寂しさに襲われています。
人生の終盤に矢部さんと出会えたことは、大家さんにとっても、矢部さんにとっても、そして漫画を読んだみんなにとっても、ありがたい幸せなことでした。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
さようなら、大家さん。
―― へのコメント。