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いけばな×百段階段2017で目を疑うような作品を見つけ僕も生けてみた
前略
“生けメン” の時代がやってきた!
の館長です。
『プレバト!!』という番組をわりとよく観ます。
特に俳句は真剣に観ます。
たった17音で情景や機微を表現できるなんて素晴らしすぎるじゃありませんか。
夏井いつき先生のこと、最初はズケズケとした物言いが苦手だったんだけど、やっぱりスゴい人だわ。
僕なんか、同じ日本人として、同じ日本語を使っているというのに、どうして何も表現できないのだろう? と、ちょっと卑屈になるほど。
毎回、日本語の勉強をさせてもらっている感じです。
そして「生け花」のコーナー。
生け花には全然まったく興味が無かったのですが、これを観るようになってから、少しだけ関心を持つようになりました。
・剣山を見せない
・フラワーアレンジメントと違ってアシンメトリー
・枝を折ったり曲げたり、針金みたいなの使ったり、けっこう自由
――などなど、多少はうわべだけの知識もつき、作品を観るのが楽しくなってきています。
(上記特徴は、假屋崎省吾氏に限ってのことかもしれません。華道一般のことにまでは言及できません)
そんなとき、東京・目黒雅叙園の「百段階段」にて、生け花の展示があると聞いたのです。
「百段階段」には以前から興味がありました。
「百段階段」とは通称で、ホテル雅叙園東京の前身である目黒雅叙園3号館にあたり、1935(昭和10)年に建てられた当館で現存する唯一の木造建築です。
食事を楽しみ、晴れやかな宴が行われた7部屋を、99段の長い階段廊下が繋いでいます。 階段は厚さ約5cmのケヤキ板を使用。 階段で結ばれた各部屋はそれぞれ趣向が異なり、各部屋の天井や欄間には、当時屈指の著名な画家達が創り上げた美の世界が描かれています。
"昭和の竜宮城"と呼ばれた当時の目黒雅叙園の建物の特徴は、装飾の破格な豪華さにあります。 最近の研究によると、その豪華な装飾は桃山風、更には日光東照宮の系列、あるいは歌舞伎などに見られる江戸文化に属するものとも言え、なかでも「百段階段」はその装飾の美しさから見ても、伝統的な美意識の最高到達点を示すものとされています。
2009(平成21)年3月、東京都の有形文化財に指定されました。
前々から観たかった「百段階段」に加え、最近関心を持つようになった「生け花」
その両方をいっぺんに観られるなんて、これぞ一挙両得! いや一石二鳥?
要するに、一粒で二度おいしい!
行かなければ末代までの恥! とばかりに出かけたわけです。
ホテル雅叙園東京の東京都指定有形文化財「百段階段」で開催「いけばな×百段階段2017」を観てきた
■ いけばな×百段階段2017 東京都指定有形文化財「百段階段」特別企画 |催し物|目黒雅叙園
桜の名所目黒川のほとりで開催される花の祭典。日本最大級のいけばな団体、日本いけばな芸術協会協力のもと54のいけばな流派が9週に渡り作品を展示します。
目黒駅からこの坂を下りきったあたりに、目黒雅叙園はあるのだ。
坂の途中にはこの「大圓寺(だいえんじ)」があります。 さあ着いた。目黒雅叙園。 だけど実は…… 冒頭より「目黒雅叙園」と言ってきましたが、今年2017年の4月1日に「ホテル雅叙園東京」に改称していたのでした。この改称には僕は猛烈にガッカリ。
なんですか、「ホテル雅叙園東京」って。
まるで「首都大学東京」みたい。
「都立大学」が廃止され、「首都大学東京」に統合されたときもショックだったなぁ。
都立大学に思い入れがあったから。
それはさておき、「目黒雅叙園」は「目黒雅叙園」じゃなきゃダメなんだよなぁ。
「ホテル雅叙園東京」ってのは、まっこといただけない。
(ごめんなさい。ホテルそのものに恨みがあるわけじゃございません。ただ名称への思い入れです)
「お七の井戸」もあります。ともかく、お七の菩提を念じながら進もう。(念じなくてよい) なんともカッコいいじゃござんせんか。 エントランスの上にはまだ「目黒雅叙園」の文字。 入り口を入るといきなり生け花の大作が。八百やの娘お七は、恋こがれた寺小姓吉三あいたさに自宅に放火し、鈴ヶ森で火刑にされた。
吉三はお七の火刑後僧侶となり、名を西運と改め明王院に入り、目黒不動と浅草観音の間、往復十里の道を念仏を唱えつつ隔夜一万日の行をなし遂げた。
明王院という寺院は、現在のホテル雅叙園東京エントランス付近から庭園に架け1880(明治13)年頃まであった。
この明王院境内の井戸で西運が念仏行に出かける前にお七の菩提を念じながら、水垢離をとったことから「お七の井戸」と言い伝えられている。
龍生派・家元の吉村華洲氏の作品が僕らを出迎える。 これがお目当ての展示。
だけど、せっかく目黒雅叙園ことホテル雅叙園東京に初めて来たんだから、雅叙園内をちょっと見て回りませんか? はい、回ります。
通路の外には緑があふれ、川が流れ…… と思ったら、内部にまで川がある!溺れさす気か! 壁画も実に美しい。
ヘタすりゃ、これ見ただけで満足して帰っちゃうよね! 水だらけの通路を、橋を渡って中へ進みます。
ここの看板もまだ「目黒雅叙園」のまま。
ホントはみんな、「目黒雅叙園」のままがいいんじゃないの?
とにかく水が多い! まぁ、火が多いよりはいいけどね。 なんともセレブな空間です。こんなことでもなければ、一生ここには縁は無かっただろうなぁ。 建物内に茅葺きの日本家屋まであるんだよ!
日本料理のお店「渡風亭(とふうてい)」は、大切な方のおもてなしにふさわしい上質な空間となっております。(←誰なんだよ!) 外では新郎新婦が記念撮影。仲よさげ。幸せそう。
水に落っこちてしまえ!
エレベーターからしてこの絢爛豪華な扉だ。有料かと思っちゃったよ。 目的の階に着き、エレベーターの扉が開くといきなり目の前にはこの生け花。
勇壮でいて華美、実に龍生派らしい作品だ。全然知らんけど。ごめん。
いよいよ「百段階段」へ。この先には「靴ぬぎコーナー(勝手に命名)」があり、そこで靴を脱いでビニール袋に入れます。
この脱いだ靴がこの先けっこうジャマになる。
できることなら小さくたためるような靴をはいて来たほうが百段階段を制する者となれる気がします。
「これを百段ものぼるのかぁ……」と、少し後悔した。
でも、「これをのぼりきれる足腰のあるうちに来よう」とは決めていたので、ここで勇気を出す。
一段のぼって、「あと九十九段もあるのかぁ……」などと思うのは僕だけかもしれない。そんなにイヤなら来るなと言われそうだ。でも来る。来た! 永遠に続きそうな気がしてくるぞ! やったね!(ヤケクソ) バリアフリーなんて、クソ食らえだー!(ヤケクソ) 「いったい何段までのぼったのかな?」と思っても大丈夫。
ちゃんと横には数字がふってあります。
やった! 頭フラフラになっても安心だね!(ヤケクソ) とりあえず最初に一気に頂上までのぼりきることにしました。
(体力のあるうちに)
で、到着。
が、しかし、九十九段で終わってる……。
その謎はこちらの説明で解決。いずれにしても、はっきりとした理由は分からないようだ。
単に、大工がうっかり一段忘れただけかもしれないね。
最上階の「頂上の間」から「十畝(じっぽ)の間」までの7つの部屋を、「百段階段」と呼ばれる長い階段廊下が繋ぐ形となっている。天井画は松岡映丘門下の作品です。前室、本間ともに格天井で、本間の床柱は黒柿の銘木を使用しています。
通常は最下階の「十畝の間」から観て回るのでしょうが、いったんのぼりきってしまった足腰の都合上、今回は最上階の「頂上の間」から観ていきます。
頂上の間の展示内容。 入り口から奥を望む。 奥から入り口を望む。ジャマそうに靴袋を持った人が見えますね?
そう、ジャマなんです、ほんと。
外の景色も風情があっていいんです。 「頂上」と言っても、外を見ますとあんまり高いようには見えないんですが……。
地下から上に上がるようになってるのかな?
そこんとこ詳しく調べておいてください。(←人まかせ) 天井は扇子の絵がたくさん。 創業者のお写真と、目黒雅叙園の執筆画家一覧。 華道の主な技法。
ここらへんはいかにもテストに出そうだよね!
小物もイカしてたよ。何だかよく分かんない生き物のペン置き。 清風瓶華(せいふうへいか)という流派による文人花。 文人花の自由性により実りの秋がみごとに表現されている。(←適当。何も分かってません)
「頂上の間」での鑑賞はここまでだ。
さあ、いよいよ長い階段を下っていきますよ!
―― へのコメント。