ここは2020年までの倉庫とします。
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なぜ今また? Facebook「言葉の力を体感する実験」は、あの「水からの伝言」を思い出させる。
前略
昔は「ありがとう」と言えない人のことを嫌ったものだけど今は違うんです。
の館長です。
今は嫌いにはならない。
ただ、可哀相だな、と思うんです。
「ありがとう」は、人から言われればもちろん気持ちがいいですが、実は言ったほうが気持ちがいい。
言ったほうが幸せになれるのになぁ、と可哀相になるんです。
飲食店で食事をして、最後に店員さんに「ごちそうさま」と言わない人がいる。
そういう人の理屈は、「だって、カネ払ってる客だもん」というものが多いです。
そりゃそうだ。確かに。
言うのはもちろん義務じゃないです。
でも、僕は言いたいから言います。
これも、言ったほうが幸せな気分になれるからです。
生命があり心を持つ人間に対して言うだけでなく、僕は機械にまで言います。
パソコンをシャットダウンしたあとには「お疲れさま。ありがとうございました」と言いますし、自転車にもバイクにも同様に……。はたから見れば危ない人でしょうね。
僕は「言霊」というものは信じています。
でもそれは、オカルトになってはいけないと思うし、エセ科学として流布してもいけないと思うのです。
僕が見た段階で300件以上もシェアされてました。
『ありがとう』といい続けたご飯には、糀のような白いカビが生えて、匂いはほとんどしません。
『バカヤロー』といい続けたご飯には、白いカビと茶色のカビが半々に生えて、酸っぱい匂いがします。
無視し続けたご飯には、緑色のカビがびっしり生えて、ひどい悪臭がします。
これを見て僕はすぐに「これって『実験』と呼べるものなのだろうか?」と疑問に思ったのですが、シェアした皆さんのコメントを見ると賛辞ばかり。
これには驚きました。
言葉のもつエネルギーっほんとうにあるんですね。
やっぱり言霊ってあるよね!
言霊って大切だというのを証明する結果です
言葉のチカラはすごいです。
自分でも、使う言葉に気をつけます。
「言霊」のパワーってやっぱりすごいものがある!
言葉の力をまざまざと知らされた実験結果です。
そんな中、一人だけ以下のようなご意見。
期待した結果が出た時だけ信じる?
2重3重に再現性を何度も確認して初めて実験と言います。
サンプル一個で、一回だけ?
科学の世界では、これを偶然と呼び、これで言霊が実証されたと考えられることは無いでしょう。
場所や時間を変えて、サンプル数を増やして数回の実験で、統計的に優位な差があるデータが取れて初めて、実証と呼べるのでは?
たった一度ジャンケンで勝った人を見て、「彼はジャンケンに負けない人だ」と言っているのと全く同じだと言うことに気がついてますか?
こういうの信じられる人って、おめでたいというか、想像力が足りないというか、もう少し自分の頭で考えて欲しい。
もう一点の疑問は、白いカビが良いカビで、茶色や緑のカビが悪いカビとする判断基準です。何を基に?何で?
緑のカビだって一生懸命繁殖しようとしている生物ですよ? ペニシリンの原料になったり、チーズを美味しくしたりする緑のカビもありますよ?
身勝手な基準、身勝手な判断ではありませんか?
僕はこの方の意見に完全同意。
むかし流行った「水からの伝言」を思い出しました。
もう6〜7年も前になるんですね。
ここですでに水だけでなくご飯についての事例も出ています。2005年、科学ライター松永和紀の実娘が学校の道徳の時間に教師が瓶に入ったご飯に「ありがとう」「バカ」と書いた紙片を貼ったら「バカ」と書いた瓶に入ったご飯から黒カビが生えた、故に悪い言葉の使用は控えるようにとの指導がなされた事を親に報告。
問題視した松永は件の教師(とその指導方法)を娘が通う学校に警告しようとするも娘の「誰も信じてないよ」の一言で警告を控えた。
後に自身の職業的立場から多少波風が立っても警告は行なっておくべきだったと後悔している旨を自著にて明かしている[15]。
「水からの伝言」がエセ科学だということの説明は以下のサイトに。
■ 「水からの伝言」を教育現場に持ち込んではならないと考えるわけ
写真の「結晶」は本物です。しかし、結晶の形が言葉に影響されるという主張は嘘なのです。音楽にも影響されません。江本氏らは「科学的にはまだ証明されていない」というますが、そうではなく、科学的には完全に否定されています。
結晶の形は温度と過飽和度で決まることは、中谷宇吉郎が人工雪の実験で示しました。これは世界的に知られたすぐれた業績です。
また、水は感覚器官も頭脳も神経も持たないただの物質なので、言葉の「意味」に反応することはありえません。
■ 「水からの伝言」を信じないでください
「水に『ありがとう』などの『よい言葉』を見せると、きれいな結晶ができて、『ばかやろう』などの『わるい言葉』を見せると、きたない結晶ができる」というのが「水からの伝言」というお話です。テレビで芸能人が取りあげたこともあるし、小学校の授業の教材として使われたこともあるそうです。
しかし、これまでの科学の知識から考えれば、水が言葉の影響をうけて結晶の形を変えるということは、けっして、ありません。
本や写真集には、実際に試してみたという「実験結果」がのっています。 でも、これは、実験する人の「思いこみ」が作りだした「みかけ」だけの結果だと考えられます。 ただの「お話」と思って聞くならいいかもしれませんが、事実だと思うのはよくないでしょう。
「水からの伝言」をいまだ信じている人もいるでしょうし、信じていることによって実害が出ない限りはご自由にどうぞと思うのですが、こういうことと「言霊」をごっちゃにして欲しくないですね。
僕だって前述のとおり、「ただの物質」である機械にさえ「ありがとう」を言うようなヤツですが、そのことによって機械が調子よくなるとか直るとか、はたまたいつか恩返ししてくれるとか、そんな非科学的なことまでは考えていません。
「今日も酷使したけどちゃんと動いてくれた。おかげで作業が捗りました」という思いがあるから、それを言葉に出して言ってるだけです。
植物としての「稲」に話しかけるならまだ分かりますが(それにしても盲信は危ないとは思いますが)、「ご飯」はもうすでにただの物質でしょう。
「水からの伝言」事件(?)はけっこう世間を賑わした印象がありますから、みんなもう同じ轍を踏むことは無いと思っていたんですが、またこのようなことがまことしやかに語られ、拡散し、ほとんどの人が絶賛していることが不思議でしょうがないです。
Facebookが、また少し嫌いになりました。
それは八つ当たりというものだろう。まぁ、いいけど。
2012年11月01日(木曜日)
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