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ベッキーのこと悪く言ったらやっぱり怒られた
前略
でも僕は「ベッキーが好き!」という人のことを嫌ったりはしないよ!
の館長です。
僕は、僕が好きな人のことを嫌う友だちも、僕が嫌いな人のことが好きな友だちも、そのことだけで嫌いになったり友だちをやめたりはしません。
そんなの普通は当たり前ですよね?
でも世の中にはそうでない人もいるみたいです。
それはそもそも友だちではなかった、と言えるのかもしれないけど……。
自分と好みが同じ人ばっかりだったら恐ろしいし、かえって生きにくいんじゃないかなぁ。
さて、先日から書いておりますベッキーの件。
世間にはベッキーのことを好きな人のほうが多いでしょうから、ベッキーを悪く言えば当然反発もあるだろうとは予想していました。
それは覚悟の上で書いてはいるんですが、ただの言いがかりみたく批判されたりするのは気分のいいものではありません。
改めて自分が書いたものを見返してみました。
■ ベッキーと「ゲスの極み乙女。」川谷絵音の不倫報道で本物のゲスの極みを見た|【がらくたチップス】
僕の嫌いな「べき子」ことベッキーが不倫騒動ですって。 お相手は「ゲスの極み乙女。」のソングライターにしてボーカリストの川谷絵音。■ 【ベッキー・川谷不倫騒動】続々と擁護湧く中でデヴィ夫人と武田鉄矢に失望|【がらくたチップス】
その後、あちこちで同時多発的にベッキー擁護が出てきていてちょっと不気味。 何か見えない“チカラ”が働いているのか、これがミヤネいわくのベッキーの “足腰の強さ” なのか、それは分からないけども……。
言うほどベッキーを悪く書いてるかなぁ?
そもそも最初に断っていますように、ベッキーのことを嫌いな僕がベッキーのスキャンダルを書くんです。
ベッキーについてネガティブな表現が並ぶに決まってます。
それを見越して「ファンの方には申し訳ないのでこれ以上はお読みにならないでください」とお願いまでしてるのに……。
僕は「嫌なら見るな」という言葉はとても嫌いなので、そうは言わないし、言いたくないけど、お願いまでしてるのを振り切って読み進めておいて、その内容に怒り心頭というのは、ちょっと違うんじゃないかなぁ、とは思っちゃいます。
それに、そうは言っても今回の記事は、ベッキーのこと嫌いなわりには、かなり手ぬるいベッキー批判で終わってると僕は思うんですが、この程度でもベッキーファンは我慢がならないのでしょうか?
むしろ、最初の記事ではベッキーの不倫をネタにしたミヤネを、次の記事ではデヴィ夫人や武田鉄矢のほうを悪く書いてると思うんですが……。
ミヤネファンやデヴィファン、武田鉄矢ファンに怒られるんならまだ納得がいくんだけどなぁ……。
それに僕が今回のベッキーの件で一番不快に感じたのは、嘘を並べてスポンサーへの言い訳をするだけの会見を開いたことであって、不倫そのものは芸能人についてはそんなに目くじらを立てるところまでいきません。
これもすでに書いたように、見え見えの嘘なんかではなく、「好きになっちゃった、ごめんなさい」なんて言われてたら、僕はベッキーを逆に好きになっちゃってた。
ベッキーを悪者扱いした部分があるとするならば、その会見についての言及と、「離婚を催促する自分のほうが正義かのような振る舞い」への批判部分、くらいだと思ってます。
いたずらにベッキーを貶めた覚えはまったくないのです。
いくら嫌いでも、むやみに人を貶めて、自分が最もゲスな人間になるのはイヤですもん。
あと、「圧倒的に悪いのは男(川谷絵音)のほうなのに、なぜベッキーばかりを責めるのだ」というお怒りもいただきました。
そりゃ当たり前です。 芸能人としての “格” が違うじゃないですか。(こんなこと言ったら今度は川谷ファンから怒られますが)
これがベッキーじゃなくてボッキーだったら、事態はまるで違ってたと思いますよ。
ボッキーはまったく責められることなく、川谷絵音が集中攻撃を受けていたに違いないです。
だってボッキーなんて誰も知らないんですもん。
そんな人、僕も知らないし。
ネームバリューのない者を、人はあまり褒めたり貶したりしないです。
ただ、川谷絵音の下半身はベッキーに対してボッキーだったとは思いますけどね。(←ゲスい。実にゲスい)
それに “バンドマン” というものに、みんなそんなに「モラル」を期待してるんですかね?
女にモテたくてギターを始め、女にモテたくてバンドを組んで、女にモテたくて歌を作って(←全部決めつけ)、そうしてようやくモテたら、なんと相手はベッキーだった!
これは26歳(当時)の若い男なら浮かれますね。いろいろ見失いますね。
糟糠の妻を捨てて華やかな芸能人の妻を望むことに、およそ世間は眉をひそめます。 特に女性は忌み嫌うようです。
それでも、ミュージシャンならいい歌だけ作ってくれればいい、ってところがありますよね。当人のイメージなんかわりとどうでもよくて。
クスリやったっていい歌作ってくれればいい、とされるミュージシャンもいるくらいですから、不倫や略奪愛のほうがまだマシとも言えます。
だからこそ、ミスチルの桜井和寿もGLAYのTERUも無事に受け入れられてるんでしょうし。
一方、ベッキーのほうは、“イメージで売ってる” という部分は大きいんじゃないでしょうか?
いや、ヘタすりゃイメージだけで売ってきたかも?(っていうとまた怒られる)
ですから、この両者を比べたら、変な言い方ですけど、ベッキーのほうが “責め甲斐” がある、“責める価値” がある、と言えるかと。
つまり、まとめますと……。
- 僕はベッキーが昔から嫌い。
- 嫌いだけど、この不倫自体は蛇蝎のごとく嫌うほどのものではない。
- それよりも嘘八百の保身会見が嫌い。
- 比べれば川谷のほうが悪いだろうけどベッキーに言及するほうが有意義。
- そして当人たちよりも、ヘタな擁護をする “お仲間” 芸能人たちが大嫌い。
以上が僕の真意です。
でも、こうした僕の “真意” が伝わっていないのならば、それは伝えるだけの表現力のない僕にかなりの落ち度があります。
表現力がないばっかりに、要約すれば上記の5つで済むことを、あんなにタラタラと2つの記事にしてしまいました。
この点は反省し、改善しなければならないと痛感しています。
ですが、少しだけ “逆ギレ” して言っちゃいますと、人のお願いを振り切ってチラッとななめ読みしたあげく、激昂して感情をぶつけてくる、あまりにも優しさのない人にも少しは落ち度があるよ、って誰かに言ってもらいたい。
優しさに飢えた僕と、優しさのない人がぶつかり合っても、何ら生産性のない事態にしかならないじゃござんせんか。
なので、この件についての僕の反論というか言い訳というか意思表明は、これをもって最後にしたいと思うのです。
僕はこれから少しでも表現力を高めるように努力します。
お怒りになった方も、きっと普段は優しいと思うので、次は僕にも少しだけ優しくしてね。
拙い記事を読んでくださったことについては感謝します。ありがとうございました。
誰かが僕の記事を読んで不快になるのは本意じゃないけど、すべての人に受け入れられるなんて不可能なこと。
元来、誰からも嫌われたくないと思う僕にとって、何か批判を書くことはそもそもリスクでしかなく、きっと、なるべくなら避けて通ったほうがいいんだ。
でもやっぱり、ときには正直な気持ちを書かずにはいられなくなることもあったりで。
また、そうでなきゃ個人ブログの意味はないとも思うし。
僕が正直な気持ちを書いたことで離れていく人がいたら、それはとても残念なことだけど、仕方がないと思うしかない。
友だちだと思ってた人が友だちでなくなるのなら、冒頭に書いたように、それはもともと友だちではなかったと思うしかない。
そうやってどんどん周りから人がいなくなったり、友だちだと思ってた人がいなくなったら、最終的に待っているのは、孤独死だ。
でも、何もしなくても最終的には孤独死だ。
どのみち孤独死ならば、書きたいと思ったことを書いていこう――そう改めて思った冬の日の夕暮れ……。
僕はあともうちょっとだけ、頑張ってみたいのです。
孤独死対策も、頑張ろうな。
―― へのコメント。