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清原引退。 記憶に残る名シーンとなぜか笑える「とんぼ」シーン。
前略
栄光と挫折の番長は去り、挫折のみの館長は残りましたよ。
の館長です。

ファンを魅了し続けた選手がまた1人、ユニホームを脱いだ。
オリックスの清原和博内野手が1日、京セラドーム大阪でのソフトバンク最終戦に4番・指名打者で出場、六回に適時二塁打を放ち、有終の美を飾った。
大阪・PL学園高時代には桑田真澄氏との「KKコンビ」で甲子園を熱狂させ、プロ入り後も数々の名シーンを残した強打者が、プロ23年目、地元大阪で最後の試合を終えた。
※→キャプチャ
また一つの時代が終わった。(このセリフは今回、日本中でおそらく100万回以上使われています)
でも、本当にそんな思いがしてしまいます。
僕だって、清原とともに甲子園を目指し(てない)、
清原・館長で「KKコンビ」と呼ばれ(てない)、
清原とともに長嶋さんの胸に飛び込んで(ない)、
ここまでやってきたんですから、それはそれは、感無量であります。
【僕の記憶に強く残る、清原シーン】
巨人にふられ、西武に1位指名されたPL学園の清原
(1985年11月20日)
忘れもしません。
大人の世界の汚さに、清原と一緒になって涙しました。
救いは、清原のお母さんの言葉、
「あんたが勝手に惚れて、勝手に振られたんやないの。
男らしく諦めなさい。男なら見返してやりなさい。
泣いてる暇なんてないはずやで!」
……僕と清原が、一緒になって巨人を見返す旅が、このとき始まりました。

南海戦で左中間にプロ入り第1号ホームランを放ち、ジャンプして喜ぶ西武・清原
(1986年4月5日)
忘れもしません。
「僕はプロでやっていけるだろうか…?」
そんな不安が、期待へと変わったのがこのジャンプの高さに表れていました。
このとき僕は、清原よりも5センチほど高くジャンプして喜んだのを覚えています。

巨人・桑田からホームランを放つ西武・清原
(1987年7月29日)
忘れもしません。
盟友、桑田からの一発。
桑田を倒すためのホームランではありません。
桑田に報いるためのホームランでもあったのです。
でも、桑田にしたら打たれたくないに決まってます。
僕と桑田の不仲説は、このときから始まりました。

日本シリーズで日本一に王手をかけた6戦目、3対1とリードし、あとアウトひとつで優勝という場面で感極まって一塁守備上で大粒の涙を流す清原とそれを思いやる辻。
(1987年11月)
忘れもしません。
この場面でもらい泣きしなかった野球ファンがいたでしょうか。
清原の涙のワケは十分に理解できました。
観戦していた僕らみな、心の中で辻選手になっていました。
のちに清原はこのときのことを振り返り、
「幼い頃から王さんに憧れて野球をやり、
それで王さんに要らないと言われて西武のユニフォームを着た。
その王さんが敗北を意識したように天を仰いだんだもん。
あの時、今まで忘れていたものがこみ上げてきましたわ。
涙を隠したくはありませんでした」
……と。
これを聞いたとき、僕はもう一度泣きました。
そんなこんなで、涙なくしては語れない清原選手の野球人生ですが、最後の最後で、ちょっと笑いを禁じ得ないシーンを見せてくれました。
笑うようなシーンじゃないはずなんだけど、写真見るとなんか笑えちゃうんで困ります。
引退セレモニーで、清原の打席テーマ曲「とんぼ」を歌う長渕剛。
【表】
【裏】

【はい、交代!】


ああ 幸せのとんぼが ほら 舌を出して 笑ってらあ
―― へのコメント。